校長講話 抄録

​ おはようございます。

 本校には卒業生がよく寄ってくれます。そんな時、色々な卒業生の情報を得ることがあるのですが、その情報(うわさ)の信ぴょう性の怖さを思うことがあります。近年の情報伝達の速さには驚かされます。世界の隅々で起きたことが、リアルタイムで私たちのもとに続々と届いてくるからです。それぞれの情報の真偽の程を確かめる間もなく、次々と新たな情報が押し寄せてくるものですから、私たちは殆ど鵜呑み状態で受け入れてしまうことが多くなっているのではないでしょうか。世の中の出来事や動き、物事に関することであれば、さほど問題になることはないのですが、こと 人に関する情報については多くの問題が起こっています。人についてのうわさや評判は、それが本当のことなのか、嘘なのかには関係なく、一度多くの人の中に広まってしまうと、必ずその人に迷惑を及ぼし、傷つけてしまうことになります。他人の口をついて出る言葉の重大性を私たちはもっと自覚しなければならないでしょう。悪意はなくても軽率に乗せられる人のうわさ話、悪口、陰口が人を傷つけているか考えてみてほしい。

 聖書は言葉を発する私たちの「舌」について次のように言っています。

 ご覧なさい。火はどんなに小さなものであっても、大きな森をも燃やし尽くしてしまいます。私たちの舌は人の人生や自分のすべてを燃やし尽くしてしまう火です。人はあらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物を制御することができます。しかし、舌を制御することのできる人は一人もいません。舌は疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私たちは舌で神を賛美し、同じ口で人を呪うのです。同じ口から賛美と呪いが出てくるのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。泉の同じ穴から甘い水と苦い水が湧き出るでしょうか。わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。

ヤコブの手紙3 5-12

 他人の陰口や悪口しか言えない大人ではなく、多くの人と健全な関わりの持てる大人に育ってほしいと思っています。

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