校長講話 抄録

 おはようございます。

 暁星高校では、さまざまな体験プログラムに取り組んでいますが、一人の人間が体験したり、考えたりすることは非常に限られています。そこで、多くの昔の人たちが残した知恵から学ぶことは賢明なことです。知識という言葉と知恵という言葉がありますが、この二つは似ている言葉ですが、その意味するところは違います。

 現代人は昔の人に比べてたくさんの知識をもっています。それでは私たちが昔の人に比べて知恵があるかというと、必ずしもそうとは言えません。知恵というのは、私たちが得た情報・知識の中から何が重要かを判断し、またそれをいかに用いるかということについての方向を示してくれるものなのです。科学はいろいろな事実を私たちに教えてくれます。科学の力によって私たちは生活を便利なものにしてきました。しかし、科学は何が重要で何が価値があるのかを教えてはくれません。両刃の剣という言葉があります。刃物というのは物を細工したり、料理をしたりするのに使うときに大変役に立つものですが、使い方によっては、自分がけがをしたり、人を傷つける道具にもなったりします。20世紀の半ばに人類は原子力という大きなエネルギーを発見します。しかし残念ながら、それが初めて用いられたのは人間を殺傷する原子爆弾という兵器としてでした。私たちはみな、自分なりの価値判断や行動の基準をもっています。しかし、そのものさしが狂っていると、取り返しのつかない過ちを犯すことにもなりかねません。「主をおそれることは、知恵のはじめである」という言葉が、聖書箴言(しんげん)9章10節にあります。自分を越えた存在に畏敬の念、おそれうやまう気持ちを持ち、自分の限界を知って、謙虚に自分を見つめることが知恵のはじめ、知恵の根本であるということです。私たちは毎日の生活の中で、どこかで自分を越えた存在からの知恵を必要としているのではないでしょうか。

 カトリック教会では、昨日の日曜日からクリスマスを準備する「待降節」という期間に入りました。毎日放送で流れる昼の黙とうの言葉を味わってください。

 そして、アシジのフランシスコの「平和を願う祈り」「神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください」と祈りながら、クリスマスの準備をしていきましょう。

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