校長講話 抄録

​  おはようございます。

  本当に久しぶりにみんなの前に立っています。1月8日の区切り式以来です。毎年のことですが私は年度末になると、特に忙しくなってしまいます。この間4回放送朝礼での私の原稿を読んでいただきました。1年を通しての朝礼での5分ほどの話がみんなの心に残ったでしょうか?今日の話は良かった、ためになっただけではダメです。それを自分の言葉にする。感じたことを人に伝える。自分が実際その言葉を生きる。行動に移せて初めて、自分の身についていくのです。

  私は今年も引率で沖縄に行ったのですが、2年生は何を感じとって帰ってきたのでしょうか?まずは見ること・知ることが、考える力・判断力を養うきっかけになっていくのです。私は沖縄キリスト教学院大学の一人の学生と再会しました。昨年の3月の修学旅行で、今問題になっている普天間基地の移設先にしようとしている辺野古の浜辺で、彼から話しを聞きました。その後、彼は大学を一年休学し、全国の日本キリスト教団の教会や高校、大学などで、沖縄を伝える講演活動をされてきました。150回されたそうです。そして今回は、一日目のガイドからガイドをお願いしました。一年ぶりの再会で、大きく成長された姿に出会いました。一年でこんなに成長するのかと思いました。一年間の活動の成果でしょう。この4月から大学の4回生にもどり、卒業後の方向性もしっかり定めている姿をたのもしく思いました。彼からもらったメッセージや問いかけに私たちは応えていかなければなりません。

  彼の話しを聞きながら、一人の人物を思い出していました。カトリック教会大阪教区の松浦悟郎司教です。34年前に神父になられたのですが、本校が女子高時代、黙想会や錬成会の指導で本校に来てくださっていました。夜には2人でお酒を飲んで、遅くまで話したことを思い出します。16年前司教になられてからは、なかなかお願いできないのですが、2002年に一冊の本を出されました。

 『武器なき世界の実現を(報復ではなく いのちの連鎖へ)』という本なのですが、何度も読み返す本の一冊です。自分が発することばを生きている人だと思っています。先日、ある雑誌で「平和への一歩、つながり広がる行動」というタイトルで松浦司教が対談されている記事を見つけました。その一部を読んでみたいと思います。

立ち返る「窓」を作る

  平和の集いで青年たちに「窓を作ること。自分の日常生活の中で、自分が大切だと思うところに、いつも立ち返られるような窓を作るように」と言っています。このことは高校生に教えられました。以前宗教を教えていた時に、社会の問題を見ながら私のこだわりというテーマで文章を書いてもらったのですが、面白いことを書いてきた生徒がいました。「私のこだわりはエスカレーターに乗らないこと」。エスカレーターの上をどんどん歩いている人の横で、杖をついたおばあちゃんはエスカレーターはこわくて乗れず、ゆっくりゆっくり階段をのぼっている。車椅子の人たちは乗れない。さて、エスカレーターはなんのためにあるのか? と考えることになってしまった。そうすると元気な人が、より早くより楽に行くためにあるんじゃないか、と思えてきた。そこで彼女は思ったのです。この文明は、より健康でより力の強い人たちが、より楽に便利になるだけに回っているんじゃないか、と。だから彼女は歩く。そしてエスカレーターを見たら、乗れない人たちのことを思い、文明とはなんなのか。だれのためにあるのかを考え、そのために生きていきたいと。そのようなことが書いてありました。彼女にとってエスカレーターは自分が大切だと思うことを思いだし、立ち返るための窓なんですね。ミレーの晩鐘という絵で、農夫が教会の鐘の音を聞きながらお告げの祈りをしていますね。あれはとても大事なことです。神からの天使のメッセージをマリアが受ける。通常、人生も社会もいつの間にか自分の倫理で動かしていますが、お告げの鐘が鳴ると、手を止めて、主のみつかいが告げたこと、神のメッセージを聞こうと立ち止まる。私はどこに向かって、なんのために一生懸命生きているのだろう、と。神の言葉のいのちを生きるように、と方向を変える。そういうメッセージを歌に表したり、話したりしていきたいですね。そのこと自体が自分を確認していく作業ですから。

(雑誌:あけぼの2月号より)

  さて今日は修業式。ことばを行動に移していきましょう。この節目の時、つぎの学年につながる振り返りをし、貴重な春休み、大切に使ってください。

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