卒業式

 2月27日(土)に卒業式が挙行されました。今回は新型コロナウイルス感染症対策の観点から,ご来賓の方々へのご案内は控えさせていただきましたが,たくさんのご祝電をいただきました。ありがとうございました。

  

学校長式辞

 新型コロナウィルスの発生拡大は、私たちの日々の生活に甚大な影響を与えています。感染する・させる恐怖、死への恐怖、失業への恐怖、人に会えない不安、心が満たされない、家庭内でのトラブルなど。そんな中、パンデミックの終息を祈りながら、感染防止と社会生活の両立を模索する日々が続いています。私たちもこの一年、自粛生活を経験し、計画していた行事や体験プログラムが中止になり、ネガティブな気分になったこともあるでしょう。毎日落ち着かない、感染防止に向けて、神経を使いながらの日々をすごしていますが、そんな中縮小した形ではありますが、このように第16回卒業式が挙行できますこと、そして皆さんの旅立ちをお祝いできますこと心からうれしく思っています。そして来賓としてジラール神父様、PTA会長の齋藤様がご出席くださり、高いところからではありますが、お礼申し上げます。本当にありがとうございます。

 さて、この学び舎を巣立っていく皆さん、卒業おめでとうございます。今この壇上から君たちを見ていると、一人ひとり、毅然として、たくましく大きく育っているのを感じます。3年前の入学式を思い出してください。君たちは、京都暁星高等学校の制服に身を包み、緊張気味にこの場に立っていました。最初に聖書「求めなさい。探しなさい。たたきなさい。」が読まれ、私は次のようなことを話しました。

 暁星は、創立当時から伝統的な教育「まじめ、まっすぐ」の精神が引き継がれています。そして、「神様は、一人ひとりを良しとして、創られました。世界でたったひとりのかけがえない存在として、一人ひとりが持っている賜物、つまり能力・個性・性格・人間性など、本人は十分気が付いていなくても、その良さを本人と共に発見し、引き出していくことを教育理念の中心に置いています。主役は君たちです。しっかり地に根を張ってください。人生で根を張る大切な時期の3年間をこの暁星で修業してください。私たちは協力します。」とお話ししました。そして、この3年間「ひとりひとりと向き合う学びの場、暁星」で皆さんは、すごしました。生徒と先生のかかわりを見ながら、生徒ばかりでなく、先生方も戦いの日々だったと思います。先生は先生なりに、生徒は生徒なりに苦しみ、悩みながら、真剣に向き合ってかかわっている姿を見守ってきました。毎日放課後には教室で自学自習している姿を休日や休業期間にも登校し、先生方とかかわりを持っている生徒たちの姿を見てきました。行事、生徒会・委員会、学年でのグループワークやスピーチ、そしてクラブなどに前向きに取り組んでいる姿、各種体験・ボランティアにチャレンジしている姿を見てきました。2年時の沖縄旅行の事前学習の発表、そして先月のSDGsについての発表に、私も同席させていただきましたが、みんなが自分の時間とタレントを差し出しての取り組みになっていました。動くことで、自信がつき、君たちは大きく成長しました。

 2019年11月教皇フランシスコは、日本の青年に向けて、「他者のために時間を割き、耳を傾け、共感し、理解するという能力をみがいてください。」「何のために生きるのかではなく、だれのために生きているのか。だれと人生を共有しているのか」という問いを問うことを習慣にしてください。と話されました。

 今日の聖書は、「あなたがたは世の光である」という箇所です。人々の前に自分を輝かすと聞くと多くの人は自分はそんなに立派ではない。または人に見せびらかすようなことはいやだ。と感じるかもしれません。聖書の中で、イエスはへりくだる人になりなさいと言っていますから、ここでいう「光を人々の前で輝かす」というのは、決して自慢したり、自分の力を見せつけることではありません。それではどんな光でしょうか。光と言えば何を思い浮かべるでしょうか。旅人を導く十字星の光。一家だんらんを照らす蛍光灯の光。夏休みに見た蛍の優しい光。夜道を帰る人々の足元を照らす街灯の光。どの光も人の心を温め、明るくし、安心させます。そして時には希望や勇気を与えることもあります。私たちは大きな光になれなくても、小さな光として、誰かの心を喜ばせ、楽しませ、希望や勇気を与えることができるのです。「私なんてどうせ駄目だ」というのは、本当の謙虚さではありません。なぜなら、そう言って自分の光を隠してしまえば、誰かを喜ばせるせっかくのチャンスを捨ててしまうからです。(中略)

 みなさんは、今日暁星で見つけたこと、学んだことを自分の中心軸にして旅立ってください。本当の若さを持っている人には、柔軟性や弾力性や学ぶ心があります。勇気を出して、さまざまなことに挑戦し続けてください。他人と比較するのではなく、自分らしく生きてください。

 人と人とのコミュニケーションが少なくなり、人と人とが直接ことばを交わさなくなったことで、人間関係が希薄になり、また感受性が鈍くなったことで、多くの悲惨な事件が起こっているのに加え、この一年は人と人との関係をコロナウィルスが引き裂いています。人との距離を遠ざけていますが、人との絆の大切さを改めて教えてくれています。コロナ禍で孤独の内に悩み苦しんでいる人々が、増え続けていますが、みなさんも新しい環境に移る中、親・友人・先生・まわりの人など、人とつながることを忘れないでください。私たちは、手紙だけでなく、電話・ファックス・インターネットなど、つながる手段はたくさんあります。みなさんの心の故郷は、暁星です。時には思い出し、声を聞かせてください。

 最後になりましたが、保護者の皆さまにひとこと感謝申し上げます。

今年度は、文化祭が中止になり、体育祭・ウォーカソン・クリスマスなど皆さまには密をさけるという学校の方針を受け入れ、協力参加下さり、ありがとうございました。そしてこの3年間、毎日のお弁当作り、休日には車での送迎など、大変だったと思います。本当にありがとうございました。この時節、私ども教職員一同至らない点も多々あったと思います。どうかお許しください。この晴れの日を迎えられましたこと、皆様のご支援の賜物と感謝しております。ありがとうございました。これをもちまして、私の式辞とさせていただきます。

         2021年2月27日

        聖ヨゼフ学園 京都暁星高等学校長

                  玉 手 健 裕

 

 

卒業生答辞

 厳しかった丹後の冬も過ぎ、暖かな風とともに、校舎をとりまく草木にも春の息吹を感じられる季節となりました。本日は、私達卒業生のためにこのように盛大な卒業式を挙行していただき、心から感謝申し上げます。

 高校三年間をともに過ごした、このぬくもりあふれる校舎や、小鳥や草花といった自然の景色とも今日でお別れかと思うと寂しさが募ります。と同時に、この三年間を振り返ると、時の流れの速さと、暁星での歩みが私達にとってどれほど特別だったかを今改めて感じます。三年前、さまざまな期待や不安を胸に抱きながら、この京都暁星高等学校に入学しました。高校進学という一つの選択の場において、私達は自らの意志で暁星を選び、新たな学校生活をスタートさせました。暁星は他の学校とは違っています。木造平屋建ての校舎に時計の置かれていない教室。学校生活の三本柱である「祈り・美化・学習」は、全くその通りに行われていました。祈りで始まり、祈りで終わる毎日は、とても新鮮で少し違和感もありましたが、自分自身を見つめ直し、誰かに思いを馳せる時間として、祈ることの大切さを学ぶことができました。掃除の時間になると、当たり前のように全員が白い割烹着を身につけ、窓の桟など細かいところまで丁寧に掃除をします。「人が見ていてもいなくても誠実を尽くす」暁星の美化の心はいつも実践されていました。この掃除風景には、誰もが一度は驚くことでしょう。しかし、私はこの姿に一番暁星らしさを感じます。生徒だけではなく、先生方も一緒になって取り組んでくださる姿。掃除に限らず、学習面においても、その姿勢は変わりません。例えば、一例として、個人添削が挙げられます。先生方は、一人ひとりの習熟度に合わせた問題集を選び、毎日、何人もの生徒を見てくださっています。私自身も多くの先生にお世話になりました。正直、授業の予習や課題で添削を疎かにしてしまうこともたびたびありました。そんな目の前の楽しさばかりに気を取られそうになるとき、返された問題集にはいつも厳しい言葉が書かれていました。その言葉を見る度、このままではいけないと気を引き締め、勉強に取り組むことができました。また、受験期には、面接で悩む私に対し、何度も指導をしていただきました。なかなか答えが見つからず、苦しい日々が続きましたが、先生が真剣に私と向き合い、一緒になって悩み考えてくださったことは本当に心強かったです。この一体感は、暁星にしかありません。

 学習面以外にも多くのことを経験させてもらいました。暁星では、ボランティアや海外研修が盛んに行われています。その中でも二年生のネパール研修は、私にとって最も思い出深い体験です。自信のなさから、いつも一歩引いて自分の殻に閉じこもってしまう私に、この経験は全く新しい世界を見せてくれました。日本とは違う、想像以上に厳しい発展途上国の現実。毎日の水の確保さえ、ままならない人々がいるという事実は私の中に重く残りました。また、現地の人との交流は特別で、植林活動の合間、手伝ってくれた子ども達に自分の水をあげると、それを嬉しそうに飲んでいた姿は、今も忘れることができません。誰かの力になることの喜びをかみしめた瞬間でした。大きなやりがいを感じるとともに、この経験は次の挑戦を後押しする自信につながりました。その他、数多くの「経験」を通して、私はひと回りもふた回りも成長できたと思います。私だけではなく、人それぞれ、この三年間で得た学びや気付きが必ずあるでしょう。それらは暁星で学んだから得られたものです。他とは違う、けれど、違うからこそ、そこにしかない新しい出会いが私達を大きく成長させてくれました。

 今年は例年になく、休校や行事の中止が相次ぎ、後輩と接する機会も少なかったことは、とても残念に思います。在校生の皆さん、頼りない先輩でしたが、今まで私達を信じ、ついてきてくれてありがとう。これからに不安や焦りもあると思いますが、怖がらずにどんどん新しいことにチャレンジしてください。壁にぶつかったとしても、悩み苦しんだ時間や苦労は、きっと自分の力になるはずです。

 そして、三年間、私達をいつも見守り、時には厳しく、時には親身になって教え導いてくださった先生方。十八年間、誰よりも一番近くで私達を励まし続けてくれたお父さん、お母さん。本当にたくさんの人の支えがあって、今、私達はここに居ます。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

 卒業生のみんな。横を見れば、いつもみんなの姿がありました。この学び舎でともに学び、ともに笑い合ったことは、かけがえのない思い出です。私達卒業生一同は、この三年間を通して、培った学びを糧に、それぞれの目標に向かって前に進んでいきます。

 最後になりましたが、伝統と歴史ある京都暁星高等学校がより一層、チャレンジを促し、広い視野を与え、人と人とのつながりを大切に、生徒一人ひとりと向き合ってくれる学び舎であることを心からお祈り申し上げ、私達卒業生一同のお別れの言葉といたします。

2021年2月27日

卒業生代表

  

3年生の教室の黒板に後輩たちがイラストとメッセージをかき、卒業をお祝いしていました。

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