入学式が挙行されました。

4月8日(金)に新入生46名を迎えて入学式が挙行されました。
桜も新入生を待っていてくれたかのようにちょうど満開に咲き乱れ、前日の雨が嘘かのような快晴の中での入学式となりました。

 


たくさんの祝電祝詞を頂きました。ありがとうございます。

 
3年生の先輩たちが新入生のために黒板アートで歓迎しました。

 

学校長式辞

今年の冬は、連日積雪を見るという厳しい冬でしたが、3月にもなると、全く沈黙していた木々に、新芽の兆しを見つけ、草花も土をはねのけて、みずみずしい双葉が顔を出し、生命力を感じさせてくれます。長い間厳しい寒さの中、忍耐強く、自分の時が来るのを待っているのです。自然の秩序正しい営みの前に思わず頭をさげ、神への畏敬の念にかられます。世界に目を向けると、ウクライナの人々が気になり、又私たちの生活も、マスクを着用し、毎日色々と神経を使い、落ち着かない日々が続いています。そんな中、縮小した形ではありますが、このように入学式が挙行できますこと、本当に感謝です。そして来賓として谷口神父様、PTA会長の池本様が出席くださり、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

さて、新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。

本校は、キリスト教の愛の精神を基盤にした、カトリック・ミッションスクールです。

明治・大正・昭和・平成・令和と時は移り変わり、今年創立115年目を迎えました。今年も5月1日には創立記念日という学校行事があります。この学校は、明治40年にフランス人の宣教師ルイ・ルラーブ神父によって、宮津市内にあるカトリック宮津教会の敷地内に誕生しました。そしてルラーブ神父は、56年間一度も祖国フランスに帰られることなく、この丹後の地を愛し、神の愛を伝え、全生涯を女子教育に注がれました。その精神はその後、シスター方、神父様方、数多くの先生方の支えと援助の中で、受け継がれてきました。そして今、ここ獅子崎の地で、男女共学、京都暁星の20年目を迎えているのです。この地での教育も、平成・令和のこの時代丹後の地に人間教育を掲げ、大事な事を伝えていきなさいと創立者からエールを頂いていると感じています。さまざまな価値観がある中で、皆さんは暁星を選びました。これから始まる暁星での高校生活は、今までの中学校生活と違うということを飲み込んで下さい。日々の祈り・学習・掃除、また年間行事や、クラブや委員会活動やさまざまな体験を通して、その精神を体感してください。人と出会う、言葉に出会う、できごとに目を開き、自分たちが生きている世界に目を開き、かかわり、そこで感じることを大切にすることによって、ほんとうの生き方に気づかされていくのです。

本校は、「一人ひとりと向き合う教育」を掲げていますが、一人ひとりの生徒をていねいに大事に育てたいという願いから、先生方は生徒とともに歩みます。すでに先月の3月28日の学習登校日から始まっているのです。「神様は、一人ひとりを良しとして創られ、世界でたったひとりのかけがえのない存在として、一人ひとりが持っている賜物、つまり能力・個性・性格・人間性など本人は十分気が付いていなくても、その良さを本人とともに発見し、引き出していくこと」を理念の中心に置いています。それが「一人ひとりと向き合う教育」なのです。先ほど朗読された聖書の箇所は、皆さんの中学校の卒業式にメッセージとして送らせていただきました。求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。叩きなさい、そうすれば開かれる。みんなにとって大切なことは自分から求めること、知りたい、わかりたいという姿勢です。そのために、まず一歩を踏み出すことです。戸惑いや不安や緊張もあるでしょう。でも今日という一日を学年の先生や教科の先生方に信頼してゆっくり歩んでいきましょう。みなさんは、新しい大地にまかれた種です。何の種かわかりませんが、芽を出し大きく育っていくように希望を持ってください。私たちは水をまき、雑草を抜き、太陽の光が当たるように協力します。聖書の言葉や宗教の時間を通して、今までとは違う価値観にも出会って下さい。お互いを大事にしましょう。支え合い、助け合っていきましょう。苦しんでいる人、痛んでいる人がいれば、そばに立ち、手を差し延べ、一緒に歩んでいきましょう。それこそが愛なのです。さあみんなが主人公です。友と一緒に成長してください。

最後になりましたが、保護者の皆様にひとことご挨拶申し上げます。

お子様のご入学おめでとうございます。式辞の中ですでにお話しさせていただきましたが、本校は各教科の授業を通して知識を伝えていくことはもちろんですが、生徒たちの心を育てることを大事にしています。生きていく上で、人間として大切なこと、物事を選びとり、また具体的に動いていけるようにという願いを持って、教育活動を通して伝え続けたいと考えています。そのためにこの学校の願いを理解してくださり、信頼を持ってご相談ください。親・子供・学校が信頼の中で共に歩み育つことを目指したいと願います。なにとぞよろしくお願いいたします。

これをもちまして、2022年度入学式の式辞といたします。

           2022年 4月 8日
京都暁星高等学校長  玉 手 健 裕

 

来賓祝辞(レデンプトール会:谷口 秀夫 神父様)

新入生の皆さん、京都暁星高等学校ご入学おめでとうございます。

わたしは皆さんがこの暁星高校に入学されたことを「本当によかったな」と思っています。私の「ご入学おめでとう」は、春の季節の恒例の挨拶ではなく、心からの「おめでとう」です。と言いますのは、皆さんはこれから、この京都暁星高等学校で今まで体験したことのない楽しい高校生活、充実した高校生活を送られるであろうと確信しているからです。特に、高校を卒業して就職しようと考えている人にとって、これからは始まる3年間が最後の学校生活となりますから、どうか1日1日を大事にして、暁星ライフを過ごしてください。それは忘れがたい思い出の3年間になるでしょう。

今日、皆さんは入学式に望んで、この校舎の佇まいをどう感じたでしょうか。木造平屋建ての、小さくて静かな校舎を、そして優しく柔らかい感じのするこの学校の雰囲気を、自分に合っているな、居心地がよさそうだな、と予感したのではないでしょうか。この学校に自分の3年間を預けてもいいな、と感じられたのではないでしょうか。この学校に足を踏み入れた人々の多くは、そう感じられるようです。しかし、それは、単に物理的な環境のせいだけではありません。先生方と在校生の皆さん、そして同窓生の皆さんの心が作り上げているオーラでもあると思います。

ところで、その楽しい高校生活も居心地のいい環境も、何のためかというと、その目的はただ一つ、学びのためです。皆さんがこの京都暁星高校に入学したのは、高校生活を楽しむためではなく、学ぶためです。楽しい高校生活も、居心地の良い環境も、学ぶためのツールです。学ぶためには高校生活が真に楽しいものでなければなりませんし、居心地のいい雰囲気でなければなりません。すなわち、安心して我が身を置ける優しい環境がなければ、人間は学びに集中することができないのです。暁星にはその環境と雰囲気があります。しかし、学ばなければ、どれだけ楽しくても、居心地が良くても、あまり意味があるとは言えません。それは皆さんの努力次第です。

暁星で学ぶことはすべて、これから皆さんが生きていくために必要なことです。今の世の中、「これを学べば役に立つ」なんて、生ッチョロイことは言いません。高校で学ぶことはすべて生き抜くためです。この日本社会で、世界で、皆さんがサバイバルするためです。ですから、どの科目も、忽せにせず、しっかり学んでください。先生は、親身になって、皆さんの学びに寄り添ってくださいます。

さてもう一つ、京都暁星高校は、学校行事や校内の美化にも積極的に取り組んでいると聞いています。すなわち、教科以外の諸活動においても、学ぶところは大きいのです。たとえば校内の掃除を心を込めてする、これは皆さんの生きる姿勢の根本を形成すると思います。校内を掃除することは心(魂)を清めることです。心を清めるつもりで、掃除をしてください。「心を清める」———それがどういうことか、皆さんは分かりますか。それが分かるために、ミッションスクールに独自の教科、「宗教」があります。魂が清められると、ほんとうに清々しい気分になります。どうかこの教科もしっかり学んでください。

それでは3年後、逞しく成長された皆さんとお出会いするのを楽しみにしています。がんばってください。

 

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