能登半島復興支援ボランティア 報告

講堂朝礼の時間を使って、秋休みに能登で行ったボランティアについて、生徒たちが報告をしました。以下がその内容です。

今回,9月19日から21日の2泊3日で能登半島に行ってきました。初日の主な活動は,翌日におこなうたこ焼きパーティーのサロンの案内とチラシ配り,そして,とぎ保育園での除草作業でした。サロンの案内とチラシ配りは,サロンを行う予定の2か所と,それに加えて,普段,なかなかボランティアが入らない3か所にも呼びかけをしました。

仮設住宅の方々にチラシ配りをする前は,正直,地震で辛い経験をされた方々は,私たちなんかが急に訪問すると冷たい表情をされ,追い返されてしまうのではないかと勝手に想像して,不安でした。でも,実際に行ってみると,皆さん明るい表情で,私たちの話に耳を傾けてくださって,実際にたこ焼きパーティーに足を運んでくださいました。

急な訪問であったにもかかわらず,「京都から来ました。ボランティアの学生です。」とお伝えすると「遠いところからわざわざありがとうね」や「高校生のボランティアなんて珍しいね,頑張ってね」「明日は向かいのあそこの奥さんと一緒に伺うからね」と本当に皆さん温かく私たちに言葉を返してくださいました。はじめてのボランティア先であるということもあって,受け入れてくださって本当にほっとしましたし,「あー,あなたたちのことだったんだね!」と声をかけていただいた時には,事前に一度チラシを配ってくださり,話題にしてくださっていた卒業生の笠原さんのおかげで不審者にならずに済んでいるんだろうなと,ようやく思い至りました。私たちボランティアを受け入れるためにしんどい状況の被災地の方が心を砕いて,動いてくださっていたことは当たり前のことではなくて,すべてに労力と気持ちが込められていることと知るべきだと思いました。

 サロンの案内が終わると,仮設住宅のとなりにあるとぎ保育園で園庭の除草作業を行いました。暁星の中庭よりは広い園庭で,敷地全体は広すぎて無理だろうと思っていました。しかし,職員の方々も草刈り機で一緒にしてくださり思っていたよりも早く作業が進み,2時間ほどで終えることが出来ました。

途中,私たちが除草をしていると,保育園の子どもたちが「がんばれ」と応援してくれました。その応援で,また頑張ろうと思うことができたし,応援されて私たちのことを見てくれているんだと思い,嬉しくなり,力がわきました。人と出会い人と関わることで,誰かを救えたり誰かに救われたりする。そんなことを久しぶりに感じました。

2日目は,とぎ第2団地と第4団地という名前の仮設住宅の集会所で,たこ焼きパーティーのサロンを実施しました。午前中に活動したとぎ第2団地では,開始20分前から集会所に人が集まり始め,最終的に30名の方が来てくださり,会場がいっぱいになりました。午後のとぎ第4団地では,まだ避難している方々が少しいらっしゃる防災センターでさせていただきました。こちらにも30名の方が来てくださいました。たこ焼きパーティーでは,一緒に焼いてくれる方がいて,その方と一緒に話をしました。それは,学校での話であったり,昔,されていた職業の話であったりと,他愛もない話をしました。また,「たこ焼き,美味しかったよ」「上手に焼けてるね」といった声をかけてくださった方が多く,温かい気持ちになりました。他には,「知り合いが亡くなってしまった」や「こんなことがあって大変だった」という辛かった話も聞かせてもらいました。また,それぞれの会の最後に2曲歌のプレゼントをしたのですが,僕たちの歌を聞いて目に涙を浮かべる方もいらっしゃいました。その姿を見て,能登半島の方がどれだけ悲しい思いをしたのか,僕らでは想像もできないのではないかと思いました。そんな思いをしたにも関わらず,僕たちに温かく,そして優しく接してくださり,つらい状況にもありながら笑顔を見せてくださり,とても嬉しかったです。このたこ焼きパーティーで学んだことは,困難な状況でも助け合うことの大切さ。能登半島の方々が少しでも笑顔になってくださっていたら嬉しいです。塵も積もれば山となる,ではないですが,どんな小さな支援でもちょっとずつ積み重ねていけば,大きな力になると感じました。

たこ焼きパーティーのサロンが終わった後,防災センターの責任者で,志賀町富来地頭町の区長さんである坂野満先生のお話をうかがいました。昔,高校の先生だったことから,仮設の方々からは「先生」と呼ばれていました。坂野先生は,避難してきたおばあちゃんに,「仮設住宅ができるまでここにいるよ」と約束して,本当にその通り,避難所が閉鎖される 9月23日まで必死に富来を支えて来られました。先生の「避難所が閉鎖するのが寂しいとか,そういうものはもう越えてしまっている」という言葉が忘れられません。

震災当時,地頭町には避難所がないため,となりの地区へ3か所に分かれて避難したそうです。その住民たちを案じて,区長として食料や毛布を配って回ったこと。仮設住宅は原則2年間しか住めないので,その後どうするのか,何度も役場に足を運んでいること。現在のような狭いプレハブの建物ではなくて,こどもや孫が遊びに来ても泊まれるような公営住宅を要望していることなどたくさんのお話をお聞きました。あるお母さんが書かれた,「地頭町を離れるのが辛い。白山市に行ったけど毎日毎朝地頭町のことを思わない日はない。それを思いながら泣いている。」というメモを読んで,一人でも二人でも何とか解消してあげたいと決意されたとお聞きして,坂野先生の責任感と熱い思いが伝わってきました。

また,たくさんのボランティアの方々と出会ってこられ,「人との出逢いが貴重である」ことを,身をもって体験されたと私達に教えてくださいました。

また,「ボランティアは失敗を恐れず,できることをやって次に活かす。得られるものは多いから」という言葉がありました。この言葉を聞いて,上手くできなくても,できることをすればいい,得られるものを吸収しようと思いました。今回のボランティアは,私自身の視野を広げることができた活動になりました。

この体験学習を通して,皆さんにお伝えしたいことが2つあります。

1つ目は,ボランティアへの価値観の変化です。私はボランティアに「自分の視野を広げる為に」と思って参加しました。しかし,正直 「やってあげに行く」という気持ちが全くなかった訳ではありません。そのような気持ちがボランティア活動を終えるとガラリと変わっていました。講話を聴いたり,現地の人々と直接交流したりすると自分たちにとって勉強になることの方が遥かに多いことに気づきました。具体的に言うと,ボランティアは作業ではなく,人と人との繋がりだということを実感しました。私たちの歌を聞いて涙ぐんでくれる人もいれば,笑顔になってくれる人もいました。私はその様子を見て,とても温かい気持ちになりました。このような体験からコミュニケーションとは人と人との相互理解であり,気持ちの繋がりを大切に人と関わっていくことなのではないかと考えました。そして,温かい気持ちをもって,心の安らぎを分かち合おうとする活動がボランティアなのではないかと思いました。

  2つ目は,仲間に対する意識です。現地の人々にだけでなく,一緒に活動する仲間に視線を向けてみると,新しい発見がありました。仮にボランティア活動をする仲間の意識が大きくズレていたり,思いやりの心がなかったりしたとすると,ボランティアの意義を見いだせず,本質を見失うことになってしまいます。その点で今回のボランティア活動を共にした仲間は,現地の人々を思いやる気持ちは勿論,仲間同士を尊重し,分かち合いながら活動できたと思いました。 今後の学校生活でも仲間への意識を強く持とうと思いました。私は今回のボランティア活動で,より一層,人との繋がりを大切にしようと思いました。その為には自らの積極的な行動と普段からの思いやりの精神が大事であるということを改めて感じさせられました。また,無理に大きなことをしようとするのではなく,自分なりにできることを考えて実行できる力が必要だと認識しました。この経験を活かしてこれからの日々を送りたいと心から思いました。 卒業生の笠原さんをはじめとするたくさんの方々のお支えのもと,今回のボランティアが無事に終えることができたことに感謝して,私たちの報告を終わります。

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