釜ヶ崎体験学習 追加報告

【釜ヶ崎体験学習からの報告】

まず、物資のお礼についてです。全校生徒と先生方に感謝の気持ちを伝えて欲しいと現地の支援されているスタッフの高崎さんが「暁星高校から本当に沢山の物資の協力を頂き、ありがとうございました。」と言われてました。皆さん、ご協力、本当にありがとうございました。

これから、釜ヶ崎体験学習の報告をします。駅を降りると、人も少なく、とても静かな場所でいろんな臭いがしていました。段ボールや自転車、ゴミ袋のようなものが沢山置いてあり、ゴミが放置されているのかと思っていましたが、そこがもう釜ヶ崎だと分かり、とても驚きました。華やかな梅田の街や隣の天王寺駅と比べて、釜ヶ崎の街はどこか落ち着いていて、静かで暗い雰囲気でした。歩いている人たちも40~60代以上の男性が多かったです。

宿泊・体験でお世話になる「旅路の里」に着くと、高崎さんに釜ヶ崎の街中を案内してもらいました。釜ヶ崎には、本当にたくさんのおじさん達がいて、中には足を引きずっている人もいました。そして、「ふるさとの家」という支援されている建物の2階にある「納骨堂」に行きました。そこには、一人一人の写真と遺骨が靴箱のような小さい透明なロッカーケースの中に入れられていて、すごく空気がズッシリとしていました。高崎さんが「路上で亡くなってそのまま無縁仏になるよりは、自分で依頼してここに納められる()が、おじさん達にとっては良い」と言われていたのがとても印象に残っています。よく見ると、その写真はどれも満面の笑みでした。釜ヶ崎でどん底の状態で辛い中で生きて来たはずなのに、なぜこんな幸せそうな笑顔ができるのだろう?と思いました。その写真は、人生にやり残した事がなく、もう全てやり切ったというような表情にも見えました。さらに釜ヶ崎を歩いていると、どこの角度から見ても「あべのハルカス」が見え、とてもギャップを感じました。

その後、旅路の里で高崎さんから、日雇い労働者の厳しさ、不条理さ、偏見や差別、支援する側が本当の意味での「相手の立場に立つ」ことの難しさなどの講話を聴きました。一番心に残ったのは、おじさんたちのことを「かわいそうだから何かしてあげる」という気持ちで接することは、逆におじさん達を惨めな気持ちにしてしまうということでした。また、高崎さんがこの仕事で初めの頃思われていたように、私達も最初は、「ボランティアでおじさん達の為に何かしなければ」という気持ちでいたのですが、段々おじさん達の助けになることを探すより、生きる光が見えてきて、「何が大切か」を気づかせてくれたと感じました。それは、私達の周りには、たくさん物があり、不自由になることも空腹になることもなく、こんなに物があるのに次々と新しい物を追い求めて、人と人とが競争する世界に私たちはいるということです。私達は、人よりも上に行こうという気持ちが強くなり、人のことを考えずに行動をしてしまっています。しかし、おじさん達は、空腹で物がないにも関わらず、常に周りの人のことを思いやり、配慮し、助け合って生きています。私達が忘れがちになっている「思いやりの心、人への配慮の気持ち」を持っているというその心を釜ヶ崎のおじさん達から学び、おじさん達と向き合い、共に生きていかないといけないということが今の私達の課題だと思いました。

 

 

【夜回りについて】

初めに事前学習をしました。木曜夜回りの会の西村さんより、目線を一緒にすること等の諸注意、また、五感のアンテナを張って色んな事に気付いて欲しい等のアドバイスをもらいました。しかし、「どんな風におじさん達と話して良いか分からない」という不安の声が生徒から多く上がりました。その時、西村さんは、「(寝ているので)、無理に話す必要はない。特別な人としてではなく、普通の人として話して欲しい。」とおっしゃられ、改めて「人を人として見る」という事の意味を再確認すると同時に、相手と同じ立場に立って物事を見ることの難しさを考えさせられました。夜回りでは、4つのグループに分かれ、毛布やカイロなどを持ち、スタッフの方と一緒に歩きました。大勢で固まって歩くと、おじさん達は「襲撃される」と不安になるので、さらに1グループ3人程で回りました。釜ヶ崎周辺では、歩道や雨をしのげるようなスペースにはフェンスが張り巡らされ、人がそこで寝られないようになっていたり、「住み込み禁止」と書かれた看板が設置されていたりして、とても異様な光景でした。おじさん達は、ダンボールの壁の中に毛布にくるまって寝ておられました。正直、人があんな時間に路上で寝ていること、そして、それが日常になっていることに、とてもショックを受けました。おじさん達に「お体大丈夫ですか?」と声をかけると、ほとんどが「大丈夫」と答えていたけど、あんなに寒くて危険な場所で平気なはずはないと思います。声をかけ、カイロを渡すしか出来なかった自分の無力さにとても悔しく思いました。

夜回りから帰ってきたのは、夜中の12時をまわっていましたが、旅路の里で報告会がありました。この日回った所だけで90人もの人が路上で寝ておられ、その多さに驚きました。その他、体調や場所、人数、心配な人はいないか等、報告し合いました。夜回りの会は、おじさん達一人ひとりへの意識もしっかりと持たれていて、現地で夜回りを何度もすることの意味、続ける事の力を知ることが出来ました。

僕たちが実際に出来た事は、本当に僅かなことで、何か大きなことを変えられたわけではありませんが、それを積み重ねることで、確実に変化が生まれると僕たちはこの体験学習で学びました。それは、スタッフのSrマリアが報告会の最後に「私たちは微力です。しかし、無力ではない」と言われた時に感じました。その言葉を信じ、自分に出来ることを続けようと僕は思いました。また、夜回りを通して、本当の辛さ・苦しみにじかに触れ、そこで終わらせるのではなく、このことを周りへ伝えていこうと強く思いました。

朝が来て、この一晩を安全な布団の中で過ごした自分は、おじさん達に対して申し訳ないという気持ちがありました。その後、この体験2日間の分かち合いを高崎さんと一緒に、皆で行いました。自分たちが生きる社会は、経済優先で、それに慣れてしまった僕たちは、お金や物より大事なことが何か分からなくなってしまっていることが最も心に残っています。そして、フェンスで囲う、地下道に花壇を設置する、公園に住めなくするなどして、おじさん達を追い出すだけ追い出して、その後どうなっても知らないという人が増えているという事が印象に残っています。貧しさに苦しみ、ぎりぎりの生活の中で必死に生きている人達とお金や物に囲まれていても、それでもまだ満足しない人達が共存する現代。雇う側にとっては合理的だが、まるで人を使い捨てしているような日雇い労働等の非正規雇用等の制度、それを作り、認めている社会。そのような釜ヶ崎を含め、日本の闇、社会の構造悪から目を背けず、目を向けていき続けなければならないと思いましたし、僕達も一人一人がわずかながらの力を合わせて協力していかなくてはならないと思いました。そうすれば、一人ひとりの力は小さくても、続ける事で、必ず釜ヶ崎のおじさん達の役に立てると思います。

これで報告を終わります。ありがとうございました。

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