校長講話 抄録

おはようございます。

 いよいよ、ウォーカソン、学校クリスマスに向けての準備が始まります。自分が選んだ係で、平和の道具として働いていきましょう。さて11月に入りました。教会では11月を死者の月、今日11月2日を死者の日としています。諸聖人の祭日(11月1日)の翌日に、すべての死者を記念する習慣は、998年クリュニー修道院で始められ、クリュニーの修道士たちの影響によって、11世紀には広く行われるようになったそうです。ローマ教会には、1311年の暦に初めて記されていますが、それ以前からローマでも死者の日の記念が行われていたようです。一般ではお正月が一年の始まりですが、教会では年によって異なりますが、キリストの誕生を待つ待降節(今年は11月29日)から新しい教会の一年の暦が始まります。そして、一年の最後の月11月を死者の月として、死者と深い交わりを持つ時として過ごします。言うなれば、教会のお盆です。日本では亡くなられた方々をお盆にお迎えします。尊い習慣です。死者を大切にしないということは、生きている者も大切にしないことにつながります。さまざまなことが起こる現代社会の中で、死者との交わりをもつことはとても大切です。私たちは、身近に亡くなられた親しい人がいるでしょう。その人が、なぜあの時あのように亡くなられたのか、すべては神のみぞ知る神秘ですが、それは、もしかして私たちのためではないかと気づきたいと思います。神様は人の死を残された者への、何かとてつもない素晴らしい最高の贈り物をしてくださったのではないでしょうか?ルラーブ神父をはじめ、亡くなられた人が天にあって、この私たちのために祈ってくれている。天の方々は、私たちを忘れることなく、しっかり守って上手に導き、我々がまったく気付かないところで、ちゃんと助けてくれている。ルラーブ神父は、「私は亡くなったあとも墓の中で働く」と断言され、現に私たちは毎年創立者の墓掃除をし、墓参りをしますが、それを見られた外部の方は、大変驚かれ、感動されます。教会での、ある葬儀の神父様の説教の中で、「神様がこの方の息を引き取ってくださいました。」という表現をされました。亡くなることを「息を引き取る」と言いますが、この時、聖書の創世記2章6節の「主なる神は、土で人形を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた」という箇所が浮かびました。命の息が吹き入れられ、命を引き取ってくださるまでが、この世での人生です。たった一度の人生です。そんな中で、私たちはなんのために自分の一生を使っていくのか、生きている意味を問う必要があります。

 今日のミサでは、亡くなった家族、友人、卒業生、恩人たちが永遠の安らぎのうちに憩われるよう祈りましょう。大震災やさまざまな自然災害や飢餓、また、テロや戦争で亡くなられた多くの方々のために、祈りましょう。そして私たちが、「いかに生きるか?」を考える時間にしましょう。

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