第11回卒業式が挙行されました。

 
厳粛な雰囲気の中,卒業式が執り行われました。

 
在校生はびしっと型を整えて,卒業生を送り出します。

学校長式辞

 山陰の冬を思い出すかぎり、今年のように積雪のない冬の体験は、初めてです。廊下に生けてある花を見て、うれしいというより地球温暖化が進んでいることへの危惧を感じます。日本の四季折々の季節がめぐりくるのは、当たり前と思っていましたが、四季の自然の美しさをめでる一年であることを祈りたいと感じます。
 さて本日ここに第11回卒業式を挙行できますこと、そして君たちの旅立ちを皆様と共にお祝いできますことを心からうれしく思っています。
 まだこのあいだ、真新しい暁星の制服を身につけて、入学式で一人一人の名前を呼んで、もう三年が経つのかと・・・。その君たちの表情は、幾分幼なさを残していますが、すべての学業を終えて、2月最後の学年の取り組みで見せているみんなの表情に、青年らしさを感じます。この学び舎での日々、どれほど先生方に叱咤激励されたことでしょうか。  
 入学してすぐのオリエンテーション合宿で、祈り・美化・学習を基盤とした説明を聞いて、よく意味も分からず、その方針に従って、上級生の指導、また折あるごとに先生から声をかけられ、なんと窮屈な学校生活、なんと真面目に実践している学校と感じたのではないでしょうか。朝の祈り、挨拶・礼から始まる授業、昼の黙祷、掃除の時間では、生徒はそれぞれに掃除場所に向かい、エプロンをしての作業、敷地内の草取り、まるで、修行にきたようだと感じたのではないでしょうか。この学校の特色は、日本の武道・茶道のように型から入り、それに意味があることに少しづつ気付いていくやり方なのです。
 かつて女子高だった本校は、男女共学になることで、暁星高校の良さがなくなるのではないかと多くの同窓生に反対されましたが、今その心配は払拭されて、暁星の伝統とすがすがしい男女共学の学校のあり方に力強さとすがすがしさの校風を感じられるようになったと思っています。「ひとりひとりと向き合う教育」を教育指針にしているこの学校ですが、生徒と先生のかかわりを見つめながら、生徒ばかりでなく先生方も戦いの日々であったと思います。先生は先生なりに、生徒は生徒なりに苦しみ、悩みながら、真剣に向きあってかかわっている姿を静かに見つめながら、いつかこのかかわりの深さを感謝できる日が来ることを確信しながら、見守ってきた日々だったと思います。生徒の中にある可能性を信じ、望みを託して挑戦する日々の連続でした。個人的に一緒に作業する時、またゆっくりと話す中で、苦労を分かち合う時、生徒の素直な気持ちが伝わり、幸せに生きてほしいと願うばかりです。みなさんは、今日暁星の芯、暁星で学び、気付いたことを中心において旅立って下さい。毎日の生活の中で、していいことと、してはいけないことを選び取る判断力。自分がされていやなことは人にしてはいけない。自分がされて、うれしかったことは、人にしなさい。悪いこと・危険なことはしてはいけない。便利でどんな情報も一瞬のうちに知ることができることで失ってしまったことも多い世の中です。人と人とのコミュニケーションが少なくなりました。人と人とがことばを交わさなくなったことで、人間関係が希薄になり、また感受性が鈍くなったことで、毎日どれほど多くの悲惨な事件が起こっているでしょう。
 2016年「世界平和の日」カトリック教会フランシスコ教皇のメッセージの一部を紹介したいと思います。「隣人に対する無関心は、さまざまな形で表れます。ラジオを聴いたり、新聞を読んだり、テレビを見たりして、豊かな情報を把握していても、熱意がなくほとんど惰性でそうしている人がいます。こうした人々は、人類に起きている悲劇を漠然と知っていますが、それに自分がかかわっていると感じたり、共感したりすることはありません。これこそが、知っていても、自分の視線や思い、行動を自分自身にしか向けない人の態度です。残念なことに、現代特有の情報の氾濫は、連帯感のうちに心を開くことが伴わなければ、それ自体では問題に対する関心の高まりには結びつきません。さらに過剰な情報により、人々への感覚がまひし、問題の重大性がときには軽視される可能性もあります。」と続いています。
 さて、神は一人一人を愛をもって創ってくださいました。だから、みなさんも一人一人の人を大事にしてください。それぞれに与えられた賜物・能力を温かい人間関係をつくるために、社会に潤いを与える平和の道具として、役立てて下さい。一人一人は違う能力と賜物をもらっています。
 「私たちは大きなことはできません。小さなことに大きな愛を持って行うだけです。」マザー・テレサのことばです。伝えることが得意な人は伝え、気付いて動ける人は動き、人の話がよく聴ける人は聴き、人に寄り添える人は寄り添い、奉仕に喜びを感じる人は奉仕する。その違いを感謝して互いに大事にしてください。
 君たちの心の故郷は、暁星です。いつでも来てください。先生方は、忙しくしているかもしれません。でもその風景こそ、みんなとの日々を思い出されるでしょう。
 最後になりましたが、また高いところからではありますが、第11回京都暁星高等学校卒業式が挙行できますことを教職員一同と共に心より感謝申し上げます。この晴れの卒業式に、ご多用な中、休日にもかかわらず、多数の来賓各位のご臨席を賜り、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。さまざまな想いで三年間私たちの学校にお子様を託してくださった保護者の方々に感謝申し上げます。お子様方の卒業おめでとうございます。私ども教職員一同至らない点も多々あったと思います。どうかお許しください。この晴れの日を迎えられましたこと、皆様のご支援の賜物と感謝しております。ありがとうございました。
 これをもちまして、私の式辞とさせていただきます。

卒業証書及び賞状授与

 

在校生代表送辞

 山の雪も溶け、春の訪れを感じる今日の良き日、この京都暁星高等学校から旅立ち、新たに歩まれる3年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。その門出を在校生一同、心よりお慶び申し上げます。3年生の皆さんと学校生活を共にしたのは、2年間という短い間でしたが、今思い返すと、様々なことが頭を駆け巡ります。
 中学から高校へと進学し、新しい環境の中で、何もかもが初めてであった私たちにとって、先輩方の一つ一つの行動や言葉は、貴重なお手本でした。初めてのスクールバスでの通学や、割烹着を付けての掃除、講堂朝礼、毎週行われる定例会など、何もかもが分からなかった私たちにとって、先輩方の姿は、頼もしく、大きな存在でした。その先輩方が優しく接して下さったおかげで、これまで安心して学校生活を送ることが出来たのだと、感謝しています。
 6月の文化祭では、ステージ発表で、歌やフラダンス、創作ダンスなどを交えた劇を通して、様々な角度から、文化祭テーマであった「平和」について表現されました。文化祭の取り組み期間中、先輩方から伝わる熱い思いを感じ、一生懸命に取り組まれる姿は、私たちの励みになりました。
 秋の体育祭では、学年を越えたチーム編成で、最上級生として私たちをまとめ、成功させるために、限られた少ない時間の中で、昼休みや放課後を使い、また本番では、体育祭を盛り上げるために奮闘されていました。先輩方の、一生懸命に取り組まれる姿、私たちを引っ張っていこうとされていた後ろ姿は、私たちの憧れの存在で、今も教室に飾られている体育祭のチーム写真の笑顔とともに、私たちの心には、思い出が刻まれています。
 そして、学校クリスマスは、先輩方と取り組む、最後の行事となりました。世代交代を迎えたばかりで、まだ頼りない私たちのために、この行事を通して、多くのことを言葉だけではなく、態度、行動で示してくださいました。ウォーカソン、タブロ、クワイア、メッセージ、デコレーションと、それぞれの係の皆で協力して一つのものを作り上げていくこと、心を込めて丁寧に一つ一つ作業すること、真剣に向き合うことなど、大切なことを教えて下さったことに、感謝しています。また、学校クリスマスに向けて活動する中で、うまくいかず、悩まれたこともあったことと思いますが、だからこそ、取り組みに深みが加わり、達成感も大きく味わえる、ということを体現して下さいました。私たちもまた、先輩方と同じものを目指して活動することが出来たこと、共に達成感を味わうことが出来たことをうれしく思います。
 世代交代を迎え、これまで先輩方が私たちにとって、どれほど大きな存在だったかを実感し、そんな先輩方のご卒業をとても寂しく感じています。また、私たちが、今までの伝統を引き継ぎ、最上級生としてやっていくことが出来るのか自信が持てず、不安な気持ちもありますが、そんな私たちに先輩方がかけて下さった「私たちと同じでなくても良いから、自分たちのやり方でやったらいいよ。」というメッセージを糧に、これから精一杯の努力をし、これまで受け継がれてきた、厳しく、あたたかい伝統の上に、さらに新しい暁星高校を築ければと思います。
 最後になりましたが、卒業生の皆様の、この暁星高校でされた経験が、今後の生活における道しるべとなり、それぞれの道で、ご活躍されますよう、お祈り申し上げ、今まで共に同じ時を歩ませていただいたことへの心からの感謝を込めて、お祝いの言葉とさせていただきます。

 

卒業生代表答辞

 例年より暖かいとはいえ、やはり寒さ厳しい冬をようやく終え、風や草花から、少しずつ春の足音が聞こえてくるようになりました。本日は、私たち卒業生のためにこのように盛大な卒業式を挙行していただき、卒業生一同、心から感謝申し上げます。
 3年前、未知なる高校生活への期待と、今までとは異なった環境への不安を抱きながら、京都暁星高校に入学しました。入学式当日、聖書の朗読と神父様のご祝辞など、今までとは違った式に驚きを隠せなかったことを、昨日の事のように覚えています。入学後すぐのオリエンテーション合宿では、ほとんど知らない人たちの中で、うまくやっていけるのだろうかと不安でいっぱいでしたが、独特の取り組みや先生方の温かなサポートのおかげで、濃密で楽しい三日間となりました。
 その後、本格的な学校生活が始まると、さらに戸惑いや驚きの連続でした。毎朝のお祈りに加え、完全に沈黙してのお昼の黙祷、毎週の委員会活動でも、祈りで始まり祈りで終わっていました。暁星高校の三本柱、「祈り・美化・学習」の「祈り」の徹底には、本当に驚きました。毎日の掃除では、先輩方が全く自然な様子で割烹着を着て掃除をされていました。窓の桟など細かいところまで、手で丁寧に掃除されていて、それが「見えない所まできれいにする」という暁星の美化を目の当たりにした瞬間でした。
 学習においては、一人一人の関わりを徹底していただきました。普段の授業はもちろんのこと、テスト前の放課後などは、先生方が教室に付いてくださり、勉強をサポートしてくださいました。問題集の添削もしてくださり、先生方が協力的だったからこそ、集中して机に向かえたと思っています。
 学習で「学力」を養うだけでなく、様々な活動や体験、また、ボランティアを通して得た物も多くありました。一年生の時の海外研修では、英語で自分の気持ちを伝える難しさを通して、コミュニケーションの難しさと通じた時の喜びを知り、日本を離れ、親元を離れることで、自分がどれだけ家族に支えられているのかを実感しました。2年生では東北ボランティアに参加し、被災地の現状を自分の目で見て、まだ進まぬ町の復興に愕然としました。現地へ全校で集めた寄付金を、生徒の代表として自分の手で渡したときは、ウォーカソンとボランティアの繋がりを実感し、いただいた感謝の言葉に励ましと勇気をもらいました。
 3年間でも思い出深い修学旅行では、何か月もかけて事前学習をし、自分たちがどれほど無知で無関心だったのかを一人一人が痛感しました。たくさんの事前学習をしてきたにも関わらず、ガイドの方に「平和の定義は何ですか?」と尋ねられ、即答できない自分に苛立ちや情けなさを覚え、それは今でも私の中で答えの出ない一つの課題となっています。
 私たちは京都暁星高校で、本当に多くの課題と向かい合い、それは私たちにとって悩み多く、苦しい日々でした。手探りで、自分のやり方を探し続け、うまくいかず苛立ち、同じ失敗を何度もして、厳しい言葉をかけていただいたことが多くありました。その時々に先生方からいただいた助言、励ましの言葉、厳しい言葉の中には、常に愛がありました。苦しい日々ではありましたが、私たちはその存在に支えられて、自分の弱さを実感できたし、成長することもできたのだと、深く感謝しています。
 在校生の皆さん。頼りない先輩でしたが、今まで付いてきてくれて、本当にありがとう。3年間は、長いようでとても短いです。あと2年、1年を、それぞれの前に置かれた課題に向き合い、どうかたくさん悩み、苦しんで下さい。その苦しい時間だけが、誰にも奪われない、本当の自分の力になると思います。
 最後になりましたが、どんな時も温かく支えてくれた家族、時には厳しく、私たちをずっと傍で見守って下さった先生方に、深く感謝申し上げます。京都暁星高等学校が、これからも厳しくも温かく、伝統を引き継ぎ、妥協なく共に高め合う素晴らしい学び舎であり続けることを心からお祈り申し上げ、お別れの言葉といたします。

 

聖歌と蛍の光

 
  卒業生による聖歌「平和の祈り」                 在校生による蛍の光    

 
舞台裏では学年主任の先生がピアノ伴奏で卒業生を送ります      同窓会よりお花をいただき,退場しました    

卒業式後


担任の先生からの最後のメッセージです 後ろの黒板は,2年生のお手伝い生によるものです。

 
      中庭は何やら慌ただしいようす    廊下に後輩たちが花束を持って待ち構えています  各クラブより先輩たちへの贈り物です     

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