本日5月1日、第119回目の創立記念日を迎えました。
最初に校長先生から。暁星高校が多くの人の想いと支えで、ここまで続いてこられたこと。そしてルラーブ神父様の生き方を味わうと同時に、求められている生き方を考える一日にしてほしいとお言葉をいただきました。
第一部では、まずスライドと放送部のナレーションによる「ルイルラーブ神父の生涯」を視聴しました。その後「暁星高校の始まりから現在へ」「ルラーブ神父様の思いを継いだ、他者のための活動の様子」の映像を通して、ルラーブ神父様の創立にかける思いと119年の歴史の重みを実感しました。またテゼと呼ばれる祈りの歌を体験しました。宗教委員が灯すキャンドルの光の中で、同じメロディを何度も繰り返し歌っていると、大きな力の中に自分自身をゆだねているような不思議な感覚になりました。


そして第二部はイエズス会の李聖一神父様の司式によるミサでした。
神父様はお話のはじめに、さだまさしさんの『一粒の麦』という曲を紹介されました。
『この歌の主人公は、4年ほど前、アフガニスタンで反対派の人の銃撃を受けて亡くなった中村哲さんです。彼は医者として、戦禍に苦しむ人々のへ医療活動のため、アフガニスタンに赴きましたが、現地の人々に触れ、「貧しさは薬で治すことはできない」という思いを持ち、本来の医療活動ではなく、ただひたすら砂漠の地に麦を作るための水路を作りました。そしてそれが平和をもたらす最も大切な道だと信じていました。実際にその地は豊かになっていきましたが、残念ながら彼は反対派勢力に襲われて亡くなってしまいました。そのニュースを見たさだまさしさんが、「一粒の麦は死ねば多くの実を結ぶ」という聖書の言葉を元に、歌を作り「一粒の麦」というタイトルを付けました。
ルラーブ神父様も一粒の麦となり、亡くなってそして多くの実を結ぶ。そう信じ、「私は墓の中から働く」という言葉を残し生涯を終えられました。私はこの一粒の麦の話を耳にするときに、いろんな人のことを思い浮かべます。中村哲先生やルラーブ神父様だけでなく、自分の人生を歩き、そして亡くなり、それが一粒の麦となって多くの実を結んだという話を私はたくさん知っています。時々、本当に全ての麦が死んだら、みんな多くの実を結ぶようになるのか?と思うことがあります。実を結ばずに死んでいく麦もあるのではないか? ですが、私が知っている多くの実を結んだ麦には共通点があります。志を持って、徹底してそのことに自分の身を捧げるということ。自分の全てをかけて、生きていくということが必要なのではないか。それなしに実を結ぶ麦にはならないのではないかと思うのです』
また、ブルトン司教が作られた校訓についても語られました。
『暁星高校の校訓「自尊・自知・自制」。自分自身の存在をかけがえのないものであるということをまず知る。そして自分自身のことをよく知る。自分をコントロールできるよう自制する。 これらは何のために身につけなければならないのか? それは自分のためではなく他者。つまり悩んでいる人、苦しんでいる人、国を追われた人、社会の底辺に追いやられた人のために生きるうえで必要なものだと思います。そしてそうした人々のために自分にできることをする。そのために自尊・自知・自制は必要。皆さんがこの学校で学ぶ間に、様々な機会が与えられるだろうと思います。その中でまさにチャレンジしていきながら、「他者のために生きる」ということは、この学校で皆さんが学ばなければいけない一番大切なことだと思います。そのようにしながら自分自身のことを知り、自分が一体何のために生きているのかということを考え、自分の進路を定め、叶えるために学校生活を送っていくことができるように、お祈りしています。


午後からは宗教委員をはじめ、希望者生徒44名、教員15名で創立者ルイ・ルラーブ神父様のお墓参りに行きました。激しく降っていた雨もあがり、聖歌を歌いながら献花をし、現在の暁星高校を歩むわたしたちのことをルラーブ神父に伝える時間となりました。


これからも暁星高校が歩む道を、119年の歴史が明るく照らしてくれることを、この創立記念日に祈りたいと思います。
【生徒の感想】
初めての創立記念ミサで緊張したけれど、考えながら映像を見たり、心を込めて歌うことができました。第一部で映像を見ていて、暁星高校がどのような経緯でできたのかを知ることができて、ルイ・ルラーブ神父様の「希望を捨てない」、そんなところを尊敬していきたいと思いました。「最初は誰も神父様の話に耳を貸さなかったが、だんだんと話を聞く人が増えていった」というエピソードを聞いて、私も今後の生活で簡単に「諦める」という選択をとるのではなく、希望を捨てずに最後までやり切れるように頑張っていこうと思いました。また、宮津の大地主が偶然にも神父様の友人の祈りにより救われたというところを聞いて、京都暁星高校は運命のめぐりあわせでできた特別な高校なのだと思いました。 (1年生男子)
私は年1回の創立記念日の時ぐらいしか、ルラーブ神父のことを深く考えることがありません。だけれども、その度にルラーブ神父の熱い思いと強い信念に感銘を受けます。今の自分には周りの人から反対されたとしてもやり抜きたいことはあるのだろうかと考えました。しかし答えはありませんでした。だからこそ、ルラーブ神父が創ってくださったこの暁星で、なりたい自分になれるよう努めたいと思います。今回のミサでは「一粒の麦」というのがキーワードだったと思います。しかし私はこの言葉に疑問を持ちました。なぜなら、死なずに大地に落ちた時は一粒であるというのは、逆に生きていれば自分の身体を使って何かできるのではないかと思いました。それと同じように、死んで落ちた麦は自分の力では何もできずに、実を結べないのではないかと思ってしまいました。やはりまだ、聖書の本当の意味を理解するのは難しいです。 (2年生女子)
「貧しさは薬では治らない」という言葉が個人的には心に刺さりました。人の病気やケガを治す仕事をされていらっしゃるからこそ、人の心には敏感になるのか分かりませんが、「貧しさ」という人の心や生活に、根強く巣食うもの。言葉、行動、ましてや薬なんて簡単には力にはなりません。心の底から出る言葉、意志のある行動。これらが「貧しさ」を取り除く最たるものであり、「川を作る」という意志ある行動が国を少しずつ豊かにしたのだと思いました。結果的に反対派勢力に殺されてしまいましたが、今、この時も彼が作った川の水で人々の生活が豊かになって、暮らしていると思うと感慨深いです。自分の行動が人の命を救ったり、良い方向に進ませたりすることができる。逆もまたありますが、日々の生活の行動一つ一つに目を配り、意識して生活していきたいです。 (2年生女子)
今回の創立記念日を通して私が1番心に残っている言葉は、ミサの中で何回も出てきた「一粒の麦は地に落ちて死ねばそれは多くの実を結ぶ」という言葉です。確かに麦というのはそのまま置いていても何も育たず、水をあげたり手入れをすることで成長していくものだから、そのような点で見れば人間も麦も同じだと思いました。人間も誰からも必要とされなくなったり、自分の軸がなくなってしまうと何にも役立つことがなくなってしまうので、1本の麦としてしっかりと地面から芽を出すためには、常に自分軸を心に持つことが大切だと改めて感じました。また、京都暁星高等学校の教訓である「自尊・自知・自制」の精神は、今まではしっかりと自立して自分の道を歩んでいけるようにという意味だと思っていたけれど、それは結果的に全て他者のためになるという言葉も深く心に残りました。これからも自分のためにではなく、他者のために自分を使うことのできる人であり続けたいと思います。 (3年生女子)



