おはようございます。
校長室から外を見ると、桜の木が目に入ります。13年間で大きく成長したなと思います。根がどのようになっているのだろう?太い根のおかげで桜の木は立っています。私たちの目には、見えるものと見えないものがあります。見えないものの方がはるかに多くて、大切なものです。「見えないものを見る目」を身に付けたいものです。
先週の朝礼で、「この夏は自分の土作りに励んでみてはどうでしょう」とお話しました。A棟前に植えられているハナミズキとサツキをながめてください。桜の木と同様、13年目ですが、成長に差が見られます。土の中が石コロだらけ、あるいは土質が悪いのか?土の下に問題があるのです。ハナミズキやサツキを見て、自分の土を意識してほしいと思います。
さて、今週末には区切り式を迎えようとしています。この4月には、こうしよう、ああしよう、頑張ってみよう、チャレンジしてみよう、という気持ちでスタートしたでしょう。しかし、そうした力がだんだんとなくなってきて、気が付いてみると何となく惰性で生きているということはよくあることです。決心したことが何となく忘れられて、元の木阿弥ということがあります。これは君たちだけでなく、私自身にも言えることです。時々聖書の箇所を思い出すようにしています。ヨハネの黙示録という書で、神の言葉としてヨハネが語る形式になっています。その中にいくつかの教会にあてた手紙があります。たとえば次の様な言葉があります。
「私はあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ冷たいか、熱いかどちらかであってほしい。熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」あるいは「私はあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。目を覚ませ」 「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だからどこから落ちたかを思い出せ」
このような厳しい言葉で最初の頃の熱心さに立ち返ることを呼びかけているのです。
○一時間一時間の授業を大切にしていますか?
○本来できて当たり前のことを当たり前に出来ていますか?
○先生方と交わした約束は守れていますか?
○勉強以外の活動に力を尽くしていますか?
○自分自身にいい加減になっていませんか?
○自分の好き嫌いの原則を越えて、
大事なことだからあえてやってみようという気持ちがなえていませんか?
このような問いを自分に投げかけて、もう一度出発点に立ち返りましょう。