おはようございます。
前回は放送朝礼でイソップ童話の「胃袋と手足のけんか」を高橋先生に読んでいただきました。何か感じることがあったでしょうか?私は一週間出張が続きました。京都・大阪そして東京と、都会の雑踏に疲れました。多少緑がありますが、ビルの谷間を歩きながら、自分が自然豊かな緑に囲まれた場所で生活していることに改めて感謝の気持ちを持ちました。何でも当たり前ではないのです。
さて、今日も一冊の本から読んでみたいと思います。
十数年前≪世界がもし100人の村だったら≫という本が話題になりましたが、世界には63億人の人がいるのですが(現在では70億人を突破していますが)、もしもそれを100人の村に縮めて考えるとどうなるかという問題提起をしながら、今という瞬間を充実して生きていこうと呼びかけたものでした。もう一冊≪日本村100人の仲間たち≫という本がありました。12年前に出版され、統計データは古いのですが、その最初の所には次のように書かれていました。
私たちは人口約1億3000万人(現在は1億2000万人)の「日本国」に住んでいます。もし、日本が100人の小さな村だったら、どうなるでしょうか?たとえば村の外には約4700人の人たちが生活していることになります。ほんのちょっとした単位を変えれば、色々なことがハッキリと分かってきます。
この本の中頃に次のような面白い指摘がありました。
日本村には『掟(守らなければならない取り決め)』があります。村人ならばいつでも、どこでも、だれでも、必ず守っています。たとえばこんなことです。
『掟』
1.Yes・Noをハッキリ言ってはならない
2.他人の目を気にしろ
3.マニュアル通りに行動せよ
4.宗教は良い所だけをつまみ食いしろ
5.行列のできる店には並べ
6.「本音」と「建前」を使い分けよ
7.「均一」「標準」「平均」になれ
8.知らない人に会ったら、まず笑え
村人は76人が仏教徒です。
でも…。
12月24日のクリスマスイブには、キリスト教の信者になってケーキを食べ、
12月31日の大みそかには、仏教徒になって、
お寺へ行き、除夜の鐘を突き、
1月1日の元旦には神道の氏子になって、
神社へ行き、初詣をします。
時と場合によってクルクル変わるので、
日本村の宗教は「万華教」といいます。
村人は、多数決の時に自信がないと、
周りを見渡して、
「多数」の側につきたがります。
「少数」だと、不安でしようがないのです。
中学生のうち、6割が、
友だちといっしょにトイレへ行き、
4割が、はやっているものを手に入れたがり、
2割が、イヤなことでも友だちに誘われれば、
やってしまうのです。
なぜって、仲間と違うことをすると、
「イジメ」られるからです。
村の八百屋には、同じ大きさの、
キュウリやトマトやニンジンが並んでいます。
本当に、形も、大きさも、重さも、みんな同じなのです。
…曲がっていたり、ねじれていたり、
…大きすぎたり、小さすぎたり、
村人は、いびつなのは買いません。
味がおいしくても、関係ありません。
学校でも、すべて「平均」的です。
野菜と同じように、ちょっと「形」が違うと、
「仲間はずれ」にされてしまいます。
村のことわざでは、これを、
「出るクイは打たれる」といいます。
皆さんはこの指摘を聞いてどう思ったでしょうか。私はかなり大雑把な指摘だけれども、日本人の特徴をよく現しているなと思いました。
確かに日本は周りを海に囲まれ、外の国からほとんど攻められたことがなく、その上農耕民族であったためか、昔から「和」を大切にする生活をしてきました。狭い社会の中で人間関係を大切にしようと思っていたのですから、ハッキリNOと言えなかったのでしょう。相手の気分を害したくないのです。だから本当はとても優しい人たちだとも言えるでしょう。また、自分も相手も同じ仲間だと思いながら、すべてに「均一さ」を求めてしまうのでしょう。でも、それがいびつな形で現れると「いじめ」となってくるのです。これは困った事です。
これから先を生きるために、頑張っている皆さんは、これからの日本をどんなものにしていきたいのでしょうか?