本日、前期終業式が行われました。
校長先生からの話のあと、教務部、指導部からお話しをいただき、また各種検定の証書の授与が行われました。
また、フィリピン研修参加者から物資の集計結果と出発の挨拶がありました。
~ 校長講話 ~
おはようございます。そして掃除ご苦労様でした。
前期の終了、節目の時です。振り返り、次のステップに進みましょう。私は昨年の自分の記録を見ながら今年の前期を振り返っていました。今年は昨年に比べ動きがあったと思います。
多くの人との出会いをいただきました。その中で、8月の前半に釜石へボランティアに行った際、仮設に1人で住んでおられる87才の男性の方と出会いました。漁師さんで奥さんを津波で亡くされました。2人の息子さんは独立し、アメリカのロサンゼルスでレストランをされているとのこと、この震災後、「一緒に住もう」と迎えにきてくれたが、時々旅行でアメリカに行くのはいいが、やはり、一人になってもこの地で頑張ると言って若い漁師さんを励まし、指導されているのです。一人の生活で食事は大丈夫ですか。と尋ねると、「漁師だもん。船の上で食事を作ることになれているから。」とのこと。87才には見えない元気な方でした。その後、手紙を書いたり、電話したりしてつながっています。
もう一人。8月の末、89才の神父様が突然本校に来られました。創立者ルラーブ神父と同じパリミッション会の神父様で、現在神戸に住んで活動されていて、一人で車で来られたのです。ルラーブ神父のお墓に行きたくて来られたのです。80代の元気な姿との出会いがありました。感謝です。
話しは変わりますが、NHKの大河ドラマ「八重の桜」を見ている人はいますか?
新島八重と新島襄の二人は幕末・明治という激動の時代の中を駆け抜けました。夫の新島襄は、海外に出ることが許されない時代にあって若くして脱藩してアメリカに渡ります。そこでの体験から宣教師として日本に戻り、キリスト教の学校”同志社”を設立し教育改革を成し遂げます。妻の新島八重は会津藩に生まれ、生死をかけた会津戊辰戦争を自ら銃を持って聞いた敗北後、京都で襄と出会い、結婚し、襄と西洋文化の導入や学校設立に取り組み襄が亡くなるまで彼をサポートしました。
私は文化祭の時、八重の襄「試練を越える言葉」を買いました。この本は残された手紙、手記、回想録などの中から二人の生き方を最もよく表現している言葉を選び、現代語になおして紹介されています。現代を生きる私たちも忘れてはいけない大切な考え方を教えてくれています。
今のあなたの自分自身の言葉と行動が一致していないと感じているのなら、
それは今のこの世の中でのあなたの才能や学力、事業なりといったものが、
ことごとく世間と共に腐敗し、空しいものになっているのではないか、
という恐れを自分自身で抱いてみるべきだろう。