第118回 創立記念日

 晴天に恵まれた今日、118回目の創立記念日を、全校生徒及び教職員でお祝いしました。

最初に校長先生からお話がありました。「暁星高校では、創立者ルイ・ルラーブ神父について年2回思い浮かべる時があります。1つは今日、5月1日のお祝い。暁星高校は1907年、明治40年に創立。95年間女子校として歩んできました。この獅子崎の場所は、今年で23年目を歩みます。ルラーブ神父は初代の校長で、25年間尽力されました。パリミッション会ブルトン司教(校訓「自尊・自知・自制」を下さった方)は暁星教育の創立者です。その後学校の運営は聖母訪問会に託されました。2代目校長Srジョセフイン岡はじめは、36年間校長を務められ、暁星の基盤を作って下さいました。3代目Srニナ田井の時、私は暁星で勤め始めました。今で9代目。その後レデンプトール会の神父様方や、先生方、1万人を超える同窓生などの強い思いがあって、今があり、そこで生きています。共に生きる精神で、生き方を持って神の愛を伝えた、スケールの大きなルラーブ神父の生き方に触れ、どういう生き方が大切か考える1日にして下さい。」

 校長先生からの話の後は、映像を通して「創立者ルイ・ルラーブ神父」と校舎の沿革と現在、及び暁星高校がこれまでウォーカソンなど支援してきた活動振り返った後、テゼの祈りを唱えました。

 

 休憩を挟んで、頭島光神父司式の下、ミサを行いました。ミサの中の説教は、深く考えさせられる内容で、カトリックミッションスクールの存在価値を認識すると共に、118年間受け継がれてきた「人のために生きる生き方」を、大切に歩んでいきたいと強く感じました。

頭島神父様の説教 概略

「118年とは何か?一人の人がフランスからやってきて、私たちのためにこの地に住み、福音を伝えた。1人の人生は、忘れ去られることもある。みんなは何を見ていますか?過去ではなく、未来を見て過ごしているのでしょうか?まだ見ぬ世界、日本を見ていたルラーブ神父って誰なのでしょう?小さい時から色んなものがあるのに、人とは違うものを見ていた。日本の宮津を見ていたかもしれない。イマジネーションやイメージを作ることは大事。夢を形にし、実現した人。宮津に50年住んで成し遂げた。舞鶴でも宣教をしたが、迫害され苦労した。天主堂を宮津に建てたのは奇跡。田井五郎右衛門さんなど多くの協力者、伝道者の力もあった。協力者があって出来たこと。1人の人の力ではなく、多くの人があって成し遂げられた。

高校生活はわずか3年。何か一点を見つめること。麦をどこに落とすか(自分を捨てる)。一粒の麦をみんなは持ってる。それをどう育てるか?自分を捨てることで、一緒にいてくれたと思える。どの人も見捨ててはいけないというのが、ルラーブ神父の心にあった。誰かのために、自分の麦を落としていった。一粒一粒、誰かのために落とせますか?約80年間、1点を見失うことなく、人のために尽くされた。118年を振り返って、自分は何が出来るか。ルラーブ神父の取り次ぎを願って祈りましょう。」

午後からは希望者(生徒52名 教員18名 計70名)で、ルラーブ神父様のお墓参りに行きました。聖歌を歌いながら、一人一人祈りながら献花をしました。心地よい風の吹く中での、お墓参りでしたが、頭島神父様が「これで終わります」と言われると同時に、コンッと木々が触れ合う音が響きました。「私は墓の中から働きます」と生前おっしゃっていたルラーブ神父様でしたが、私はここにいるよ!ありがとう!と言われているような不思議な瞬間でした。

【生徒の振り返り】

ルラーブ神父の生涯の映像を見ていると、なぜか分からないけど感動して涙が出てきました。一人の思いからこの暁星高校が誕生した。そしてクラスのみんなと出会った。歌っている最中、毎日祈っているよりも、みんなと思いが一体になっている感じがして、「歌って本当に2倍の力があるんだな」と思いました。ミサの話はとても長くて、たくさんお話下さいましたが、一つ一つの言葉が「なるほど」と思えるものばかりでした。例えば、私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛したと言われたことです。宗教とは、争いが起きて怖いなどのイメージがありますが、宗教にはとても素晴らしいものばかりあって、本当に素晴らしいと思いました。118年続いた理由、ルラーブ神父が伝えたかったことは、ここにあると思います。」

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